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日 付 2001/03/25  朝・夕刊 朝刊  政治・行政  3  1版 
見出し 日曜評論/実を結んだ奨学制度/ロバート・仲宗根(WUBインターナショナル会長) 
本 文
日曜評論/実を結んだ奨学制度/ロバート・仲宗根(WUBインターナショナル会長)


 「私は今日ここに、日米両国の合意のもと、沖縄の若い大学院生たちをハワイの東西センターに派遣する奨学金プログラムの創設を発表できることを大変うれしく思います。この制度は、私の良き友人でもあった故・小渕恵三前総理にささげたいと思います」―。G8サミットで沖縄を訪れたクリントン米大統領はこう演説した。
 一九五九年、ジョンソン米大統領はバ―ンズ・ハワイ州下院議員に、西洋と東洋の学術交流の場として、この年、合衆国五十番目の州となったハワイに、国際研究所を設立したいと提案した。それが東西センターである。
 東西センターが一九六〇年に設立された当時、沖縄はアメリカの統治下にあった。日本で唯一、地上戦があり廃虚となった沖縄は、当時はまだ復興の途上であった。
 一九六〇年から日本復帰の七二年まで、四百人以上の沖縄の人たちが研究のためにハワイを訪れ、またハワイからも多くの専門家たちが指導のために沖縄へ行った。センターの果たす役割は大変大きかった。しかし、日本復帰で、沖縄が日本の四十七都道府県の一部となった時点で、センターとの関係は途切れてしまった。沖縄に帰った東西センター同窓会員は、ハワイと沖縄の関係の深さから、東西センターともより強い結びつきを希望しており、沖縄に東西センターのような研究機関を設立したいという意向を持っていた。
 一九九九年一月のフィリピン会議で、沖縄支部代表らは、東西センターのモリソン総裁に対して、その意向を伝えた。総裁は同年四月に初めて沖縄を訪れ、その提案を検討し、実現可能であると確信した。これはちょうど、小渕前総理が二〇〇〇年のG8サミット開催地を沖縄に決定したのと同じ時期だった。帰国後、モリソン総裁は、この提案にしたがって沖縄特別プロジェクト企画室という新しいポストを設けたのである。
 マンスフィールド前駐日大使は、日米関係は重要であり、沖縄は地理的にも重要な役割を担っていると述べている。
 一九六〇年代、米軍統治下の沖縄の復興という点で東西センターの役割は大きかった。当時、ハワイの沖縄コミュニティーは、沖縄からの留学生を温かく迎えた。当時、沖縄は日本本土に比べて経済発展がだいぶ遅れており、県民の年間収入は国内で一番低く、失業率は一番高いという状況であった。
 日本政府は三十年間、沖縄経済振興計画を行ってきた。沖縄の発展は、日米両国の利益につながるという点で重要である。
 モリソン総裁が提案した東西センターでの日米共同「沖縄教育イニシアチブ」の内容は、東西センター大学院の設置、沖縄―東西センター間での研究機関の交流、国際ビジネス研修のインターンシップ提供、沖縄研究センター設立推進協力などである。
 サミット開催地である沖縄は世界から注目されていたので、プロジェクト案の発表はタイミングが良かった。このプロジェクトは、一度限りで終わるものではなく日米の政府レベルで将来長期に渡って支援できるものである。
 私たちハワイのウチナーンチュは、平和の礎における演説の中で、クリントン大統領が、沖縄が世界平和に不可欠な役割を担い、また大きな犠牲を払ってきたことに言及したこと、東西センターのこのプログラムの創設を宣言したことに非常に感銘を覚えた。
 G8サミット開催期間中に提案されたプロジェクトの中で、おそらく東西センター奨学制度が沖縄の将来にとって、最も充実したものとなるであろう。私はそう確信している。




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