日 付
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2001/06/17 |
朝・夕刊
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朝刊 |
面
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政治・行政 |
頁
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3 |
版
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1版 |
見出し
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日曜評論/ボーン・アゲイン・ウチナーンチュ/ロバート仲宗根/(WUBインターナショナル会長) |
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本 文
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日曜評論/ボーン・アゲイン・ウチナーンチュ/ロバート仲宗根/(WUBインターナショナル会長)
ハワイでは、沖縄の伝統とウチナー精神を再認識した人たちを「Born again Uchinanchu(生まれ返ったウチナーンチュ)」と呼んでいる。
現在、世界のウチナーンチュ人口は約二百四十万人である。そのうち日本の関東地区に五十万人、関西地区に三十万人、そして海外に三十万人おり、沖縄に住んでいる百三十万人は全ウチナーンチュの五五%に過ぎない。
戦前、沖縄の言葉や芸能文化などが、本土側から見ると特異であるとして、沖縄の人たちは引け目を感じていた。しかし、海外に住むウチナーンチュは、比較的自由に沖縄の文化、伝統、家族的絆(きずな)、そしてウチナーンチュ精神を謳歌(おうか)していた。
彼らにとって、それらは自己のルーツを意味するものであった。そして何よりも大切な事は、ウチンナーンチュの心であった。私は、過去二回における世界のウチナーンチュ大会の時にそれを痛感した。
ウチナーンチュは適応性があり、実用主義で生活力に富んでいる。過去の忌まわしい歴史を思い、自己憐憫(れんびん)にひたってばかりいては、ウチナーンチュとしてのアイデンティティーは持ち得なかったであろう。
移民として海外へ渡ったウチナーンチュは、それぞれの地で自分たちの持つ最大の能力を生かして環境になじんできた。そして常に前向きの姿勢で事に臨んでいるが、それは、相互補助をベースとする横社会に生きているからである。
一般にハワイでは、ウチナーンチュの葬式は他の民族グループに比べて弔問客の数が圧倒的に多い。ウチナーンチュ同士の親密さや助け合いの気持ちがよく現れている。
おもしろいことに、沖縄に行くと、私の祖先の出身地を聞かれることが多く、日本本土では職業に関する質問が多い。同じように、ハワイでは初対面のあいさつで、出身高校を聞かれ、アメリカ本土に行くと、やはり職業を聞かれるのである。
これはハワイと沖縄では、社会的地位に関係なく、人は皆平等であるという潜在意識があるからだと思う。
華僑、ユダヤ人、アイルランド人コミュニティーは絆が強い。特に華僑は、何百年も海外でコミュニティーを形成して暮らしてきた。遠く中国を離れていても、華僑としての基本は、家族・食・経済的絆にあり、それが彼らの他のアジア諸国に及ぼす経済的影響力の強さにつながっている。また、何世紀もの歴史を持つユダヤ人社会は、たとえ国家という後ろ盾がなくともお互いが強い絆で結ばれている。彼らの力も第一には家族の絆であり、また宗教、学問である。
ウチナーンチュは中国への進貢の時代、薩摩の侵略、あるいはアメリカ統治の時代があっても精神的には屈することがなかった。他民族支配下でも、その精神はしっかりと守り通してきた。我々はそれを誇りにすべきである。
私は、これからもより多くのウチナーンチュに世界を見てほしいと思う。学問、仕事、その他の理由で海外に出るチャンスがあればそれを生かし、世界中に散らばっているウチナーンチュのように、大いに活躍してもらいたい。そして我々の祖先から受け継がれてきたウチナーンチュ精神を大切にして、世界のどこにいようともウチナーンチュ同士の絆をより深めていこうではないか。
「いざ行かん、我らが家は五大州」と言った当山久三の言葉を、今我々が実行する時ではないだろうか。
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