琉球新報 記事詳細

日 付 2001/08/26  朝・夕刊 朝刊  政治・行政  3  1版 
見出し 日曜評論/自己表現力の教育を/斎藤陽子(USセラミック・サプライ・インク社副社長) 
本 文
日曜評論/自己表現力の教育を/斎藤陽子(USセラミック・サプライ・インク社副社長)


 夏休みに入ると、日本からの家族連れの観光客が、多くなるのは例年のことだが、わが家の夏も、日本からの親子連れの泊まり客を迎える季節となる。
 アメリカ観光が目的で、日本からの子どもが、わが家に滞在することがあるが、余り口を利かない子どもが目立つ。これはコンピュータゲームなど、独りで時間を潰(つぶ)す日常生活からの影響なのか。または親が子どもの気持ちを先回りし、身の回りのことを、何でも処理してあげる、日本的な母親の弊害が、黙っていても自分の意志が通じ、どうにか過ごせてしまい、非社交的な子が出来上がるのだろうか。
 また時には子どもに、こちらが質問などをしても、親が代返してしまうということまである。付き添っている親も、別に子の社交性の無いのを気にしている風でもない親の姿を見かけるが、そんな日本の親の態度に、違和感を覚えるのは、アメリカ生活が長くなったからだろうか。
 また日本から来る年端のいった、社会人の若者にも、社交性の無い人を時々見かけるが、自分の意志をはっきり言わなければ、取り残されるアメリカの若者に接していると、おとなしい日本の若者の姿が、不思議にさえ見えてくる。
 三十三年前アメリカに来て、アメリカ人と親しく接触し、最も日本人との大きな違いを感じたのは、アメリカ人というのは自分の意志をはっきりと、言葉で言い伝える国民だという発見だった。アメリカ人の持つ社交性や、その論理的にうまい話術は、生まれ持った国民性だと、長年思っていたが、そうではないことを知ったのは、わが子がアメリカの学校教育を受け始めてからだった。
 アメリカでは義務教育である、幼稚園が始まった時から、[見せて説明する]という時間があり、これは毎日一人の子供が、三分ほどクラスの皆の前で、何か家から持ってきたものを、友達に見せて説明発表する時間がある。また他の子らも、友達の説明の聞き方のマナーを同時に訓練される。
 この幼稚園から継続される発表の時間は、四、五年生や中学生になると、子どもたちの自己表現力は、堂々としたものになってくる。この幼稚園教育から高校までの、一貫した「自己表現力」を伸ばす教育、自分を相手に伝える発表力は、アメリカのアカデミック教育「算数」「英語」と同等に並ぶほど、力を入れた重要カリキュラムとして、アメリカの教育の現場では位置付けている。
 アジア系の子どもが、一般的に持っている、「恥ずかしがり屋」の性格は、アメリカの教師は「美徳」などではなく、大いに直していかなければならない欠点とみなす。日本人を含めたアジア系の子どもは、どうしても『寡黙は美徳』の傾向があり、アジア系の子供は扱いにくいと教師は言う。中学になるにつれて、相手を説得させる力が身に付き、また相手の話の聞き方もうまくなってくるものだ。高校生になると討論にも磨きがかかり、ディベート・チームを組んで、全米対抗を目標に戦う若者も多い。
 この話術を磨き、自己を表現する力を培うプログラムは、幼稚園から高校教育が終わるまで継続され、全米規模の必修教育として、アメリカン・デモクラシーの精神のもと、戦前から定着しているという。
 話をしない日本からの子どもを見ていると、いま日本の教育現場で、最も欠落している部分が、この「自己表現教育」のように思えてならない。
 「総合的な学習」の導入で、教師も自由にテーマを扱う時間もできた今、日本人が最も苦手な、自己の表現力を伸ばす時間に充て、グローバル社会を生き抜く力をつけてはいかがかと思う。


備 考  
ニュース源 その他  記事種   写真枚数 0