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日 付 2001/09/01  朝・夕刊 朝刊  特集  14  1版 
見出し 世界のウチナーンチュ大会/移民の歴史北米・ハワイ編 
本 文
世界のウチナーンチュ大会/移民の歴史北米・ハワイ編


■ハワイ

 一八九九年十二月、当山久三があっ旋した県出身者二十七人を乗せたチャイナ号が横浜港を出発。一月十六日に二十六人がハワイへ上陸した(一人は身体検査で不合格)。十人は当山と同じ金武出身だった。
 その後ハワイ移民が活発化し、一九〇六年には四千四百六十七人がハワイへ移住した。三五年の在ハワイ県出身者は一万二千八百二十人に上った。
 太平洋戦争ぼっ発で県出身者は敵国人扱いとなり、一部は米本国の収容所に送られた。国への忠誠を誓い、米兵として戦場に赴く県系二世もいた。戦後、沖縄救済運動が起こり、四八年には豚を沖縄へ送った。
 ハワイと沖縄の交流は続き、六〇年代にはハワイ南北センターで多くの沖縄出身学生が学んだ。
 現在のハワイ在住県系人は四万九千人。ハワイ沖縄連合会に九千五百人が所属する。
 HUB(ハワイウチナーンチュビジネスアソシエーション)は現在のWUBの母体となった。

■米 国

 一八九九年のハワイ移住が沖縄の海外移住の嚆矢(こうし)とされているが、米本国では九六年に比嘉照熙、八九年に西銘徳太らの渡航記録がある。
 一九〇一年にはハワイ移住者のうち二人がサンフランシスコに渡った。沖縄からの直接の移住は、〇三年の五十一人が最初である。県出身の米本国在住者は三五年には千五十七人となる。
 戦時中、大統領令によって在留日本人が居住地から立ち退きを命じられ、県出身者も強制収容所に送られた。戦後、沖縄の救援復興運動が起き、沖縄復興を支えた。
 現在、米本国に住む沖縄県系人は三万一千人。県人会は三千人の会員が所属する北米沖縄県人会(古堅ロバート会長)をはじめ二十三の県人会が活動している。

■カナダ

 一九〇〇年、首里出身の牧志安能、那覇出身の親泊康善の二人が米国からカナダで移住した。沖縄からの直接の移住は一九〇七年の百五十二人が最初だった。三五年のカナダ在住県出身者は二百九十人に上った。
 ハワイ、米本国と同様、県出身者は敵国人として扱われ、財産が没収された。
 戦後、六〇年代にも農業移民などの形で移住が続いた。現在のカナダ在県系人は千百人。四つの県人会が活動する。沖縄サミットでクリティエン首相が南風原町を訪問し、新たな交流が始まった。



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