琉球新報 記事詳細

日 付 2001/10/21  朝・夕刊 朝刊  政治・行政  3  1版 
見出し 日曜評論/世界を結ぶ沖縄人ウチナーンチュ/斎藤陽子(USセラミック・サプライ・インク社副社長) 
本 文
日曜評論/世界を結ぶ沖縄人ウチナーンチュ/斎藤陽子(USセラミック・サプライ・インク社副社長)


 NHK朝のテレビ小説「ちゅらさん」は、衛星放送のおかげで、アメリカや南米でも見ることができ、世界各地に散って生活している、沖縄系の人々には、ウチナーヤマトゥグチが、大手を振って使われるドラマを通して、故郷の「今日」を感じ、懐かしさもひとしおであった。
 また、まだ沖縄に行ったことのない、沖縄系三世や四世にとって「ちゅらさん」の画面を通し、現代沖縄の日常の暮らしから、父母らの故郷の文化、習慣などを知ってもらうのに役立つという、意外な相乗効果の役割も果たしてくれたドラマだったように思う。
 四十余年前、沖縄から上京し学生生活を送っていたころ、旧姓が沖縄独特の名前のため、初対面の方には、必ず名前の読み方を質問され、次に来るのが「出身は?」と聞かれ、一息飲んで、小さな声で「オキナワです」と答えたものだ。その後に決まって「沖縄人は何語を話すの?」との質問。「服装は?靴は履いているの?いまだに裸足(はだし)?」などと、遠い南の国から来た、土人にでも遭遇したかのような、矢継ぎ早の、定番の質問が来たものだ。
 沖縄を知らない人々のこの傾向は、戦前から復帰前ごろまで続き、沖縄出身であることで、随分と肩身の狭い思いをしながら、大都会の中で生活を送った人は多いと思う。この気持ちがかえって「ヤマトゥンチュに負けたくない」という、エネルギーに変わったという沖縄出身の学生は多い。あのころは大半の内地の人々が、沖縄をあまり知らないという環境に加えて、米軍政下のもとで育った若者にとって、アイデンティティーは定まらず、在京生活は違和感の中での生活だったように思う。
 さて十年前ごろから、私は在京の沖縄出身の学生に会うと「沖縄人であることで、肩身の狭い思いをしたことがあるか?」と質問するのが常だが、彼らの答えは即座に「ノー」である。「沖縄出身であることを、かえって相手は羨む」との答えが反対に返ってきて、沖縄人であることを素直に誇りに思っている気持ちを聞き、昔とは随分変わったものと、感慨深い思いがする。
 最近のメディア界は、沖縄出身のアーティストなどの進出が目立ち、すっかり沖縄そして沖縄人の認知度も、日本全国で上がっている。
 昨今ではメディアのおかげで、沖縄を理解する人々も加速度を増し、朝のドラマ「ちゅらさん」では、丸ごと「沖縄」が取り上げられ、沖縄を理解する人々が、全国的に増えてうれしい。
 沖縄が、そして沖縄人が認知され、空前の沖縄ブームのいま、十日後には「世界のウチナーンチュ大会」が始まる。思いもかけない、アメリカでの「同時多発テロ」の影響で、来客を迎える側の主催者としては、何かと神経を使う面もあろう。遠く海外で生活している者にとって、この大会に参加することは、単なるイベントに参加するという意味以上に、ウチナーンチュとしてのアイデンティティーの確認の大会でもある。
 また、この「世界のウチナーンチュ大会」のプレイベントとして、二十八、二十九日には、東京では「ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション(WUB)」の大会が開かれる。この会の目的は、海外で企業を興しているウチナーンチュや、またその子弟の二世、三世の企業家と、沖縄の企業家が一堂に会し、世界的なビジネス・ネットワークを構築しようというものである。
 この試みは他府県には例を見ることのできない、沖縄が誇れる団体であろう。
 この期間を利用し、沖縄の企業が、世界に羽ばたくことを願っている。


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