琉球新報 記事詳細

日 付 2001/11/18  朝・夕刊 朝刊  政治・行政  3  1版 
見出し 日曜評論/次世代に甘い国・日本/斎藤陽子(USセラミック・サプライ・インク社副社長) 
本 文
日曜評論/次世代に甘い国・日本/斎藤陽子(USセラミック・サプライ・インク社副社長)


 国立教育政策研究所が全都道府県の公立小学校、千百五十四校を対象に調査した結果、三校に一校が学級崩壊があったという日本からの新聞報道を見て、驚いている。
 二年前に、静岡の小学校一年のクラスを訪ねた際、幼い一年生という年齢の割には、生意気な行動を取る数人の子供が、授業中に机の上に立ち、卑猥(ひわい)な言葉を発し、他の子供たちを扇動し騒ぎ立て、担任の教師はというと、ただオロオロするばかりで、教師としてのプロフェッショナルな毅然(きぜん)とした姿勢も無く、教師の力では収拾がつけられない状態の、学級崩壊の現場を見た。あのようなクラスが三校に一校存在するとの統計に、「いったい日本の教育現場はどうなっているのだろうか」と怒りさえ出てくる。
 アメリカのすべての公立小学校には、一年間の幼稚園教育が、義務教育として組み込まれているが、この幼稚園教育時のプログラムは、日本の幼稚園教育のカリキュラムと、大分かけ離れているように見受けられる。例えば日本の幼稚園では、大半の時間をお遊戯や唱歌などの時間に費やすが、アメリカでは余りこれらの教育に比重をおかず、大概の時間、教師は幼稚園児に本を静かに読み聞かせ、その内容を質問したり、その本の内容をどれだけ把握したか、絵でまとめさせたりと、授業中の集中心を植えつける目的が主で、常に集団を静かさへと、導き保つ訓練をねらいとした授業を意識的に行っている。
 常時「市民に開かれているアメリカの学校」では、たとえコネクションが無くても、授業を視察したいと申し出ると、いつでも部外者に開放して見せてくれるのには、いつも感心させられる。そして、いずれの幼稚園および小中学校へ行っても、児童生徒には規律を厳しく守らせ、静かで整然とした中で、授業が進行していることである。
 過日沖縄を訪れた際、友人がこれまでの自分の集大成としての個展を開き、自分の芸術から何かを感じて欲しいと、児童生徒へも、招待状を出したと、初めての試みを目を輝かせて語っていたが、団体で鑑賞に来た児童生徒のマナーの悪さに、がっかりしたと嘆いていた。これなど当日厳しく鑑賞の心得を指導したところで、日ごろの公共の場でのマナー教育が身についてない結果といえる。
 日本を旅行していて、修学旅行団と出くわすことがあるが、彼らの公共の場での秩序の無い、未成熟な行動や、喧騒(けんそう)なマナーを目撃することがあるが、周りの社会も秩序の乱れを容認している風で、次世代に甘い国だと感じることが、しばしばである。
 日本の教育現場と比較し、アメリカの学校での、その規律の厳しい「管理教育」を見た、一部の日教組の教師は、この厳しい「管理教育」を批判する人もいるが、アメリカの学校現場からは、日本で起こっている「学級崩壊」など、想像することはできない。
 アメリカン・デモクラシーとは「他の人を侵さないかわり、自分も他の人から侵されたくない」と言うのが本筋であり、お互いのプライバシーを保持した教育が、徹底してたたき込まれ、その授業中の整然とした秩序正しい授業風景は、目を見張るものがある。
 戦後アメリカから導入されたはずの民主的教育の「自由」が、どこでどう間違ったのか、アメリカン・デモクラシーの本筋とはかけ離れて、日本の教育の現場では「日本流自由」が一人歩きし、いま日本の教育の現場は「学級崩壊」というさんたんたる状況を作っている。真の「自由教育とは何か」を問い直し、厳しい秩序ある、アメリカの幼稚園および小中学校教育から、何か学ぶものもあるような気がしてならない。



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