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日 付 2002/08/05  朝・夕刊 夕刊  その他  7  1版 
見出し アメリカ/若者よ、海外に出よう/経験基に雄飛の勧め/ビクター・オーキムさん(羽地出身) 
本 文
アメリカ/若者よ、海外に出よう/経験基に雄飛の勧め/ビクター・オーキムさん(羽地出身)


 米国ワシントンDCで、日米関係のコンサルタント業で活躍するビクター・オーキムさん(六六)(旧姓・大城英一、旧羽地村出身)は、復帰三十周年を迎えた沖縄県の若者に「国際感覚を身に付け世界を舞台に活躍できるよう、海外に出ることを勧める」とメッセージを送る。オーキムさんは二十三歳の時にハワイに渡り大学に進学。その後米本国で博士課程を修了、米国を舞台に活躍している。
 オーキムさんが、外国に目をむけたきっかけは、十六歳で船に乗り、五十回以上も外国を航海した父親の影響という。「父から寄港した大都会の上海、ロシア、サンフランシスコなどの話を聞き、世界の広さを知った。小さいころから外国にあこがれていた」と語る。その後、父親は雑貨商やホテル、レストラン業などビジネスの幅を広げた。オーキムさんは高校進学のため那覇高校に入学。十八歳で基地内で働き、民政府民間情報教育部新聞課で翻訳官、星条旗新聞沖縄支局で通訳記者を務めていた。
 一九五九年、ハワイ大学で政治学、国際関係学を学ぶ。卒業後はサンフランシスコに渡り神学校で聖書を学んだ。「キリスト教的価値観や倫理観を学び、アメリカの理解に役立った」とオーキムさん。
 インディアナ州に移り、インディアナ大学の大学院で言語学と図書情報学の修士号を得た。その後、ワシントンDCのアメリカ大学で図書館の配部課のヘッドとして二百人ほどの部下を従えて働いた。そこでアメリカの合理的なマネジメントを学び、日米の違いを知ったという。
 ボストンのサイモンズ大学の大学院で「日本的経営のアメリカへの応用」の論文で博士号を取得。それをきっかけに日米関係のコンサルタント業に携わっていく。日本はおりしもバブル経済突入のころ。多くの日本の企業がアメリカへ進出していた。オーキムさんは日本企業が米国で円滑に貿易ができるようビジネスマンを対象にセミナーを開いた。その後、世界の政治の中心地ワシントンDCの郊外メリーランド州へ移り、来米する政治や経済関係の要人の世話や沖縄の基地関係の資料収集にも東奔西走する。今、WUB(世界ウチナーンチュ・ビジネスアソシエーション)のメンバーで、その組織を通して海外にあこがれる沖縄の若者たちへ何らかの援助ができないか思考中だ。沖縄の看護大学や名桜大学で、日米の価値観の違いについて講演したこともある。
 オーキムさんの家族構成は、ハワイ大学時代に結婚した韓国人で芸術家の弘子夫人と中国人女性と結婚した一人息子で公認会計士のケビンさん。「わが家は日本、韓国、中国、米国の四つの文化が同居している」とオーキムさんはほほ笑んだ。
 (鈴木多美子米国通信員)



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