日 付
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2003/05/14 |
朝・夕刊
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夕刊 |
面
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政治・行政 |
頁
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2 |
版
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2版 |
見出し
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<沖縄マインド大阪>船乗りから左官に転身/WUB関西会長も務める/仲里建設社長 仲里真光さん |
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本 文
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<沖縄マインド大阪>船乗りから左官に転身/WUB関西会長も務める/仲里建設社長 仲里真光さん
中学を卒業後、大阪に渡る。電気工事の会社に勤めるが半年で辞め、米穀店で一年余り働いた。沖縄に帰って米軍のハウスボーイとなる。気乗りのしない仕事だった。そんな時、ラジオで船員募集を知り、すぐに応募。長崎で三カ月の漁業研修を受ける。だが給与や将来性のことを考え、船乗りになるのは断念した。
「二十歳までの五年間で五つの仕事に就いた。船乗りかカメラマンになるのが夢で、漁業の会社に入ったが、漁船員は気の荒い人が多く、自分には向いていなかった」
再び大阪に出て、住み込みの左官見習となる。ちょうどオリンピック景気で建設業が活況を呈していた。一年で独立。沖縄から後輩を呼び寄せ、建売住宅の左官工事を請け負った。一九六八年に仲里左官工業を創業する。
やがて、壁材にALC(軽量気泡コンクリート)材が使われるようになる。左官業では立ち行かなくなった。建物に関する工事なら何でも引き受けることにし、社名を仲里建設工業へ改めた。その後、仲里建設株式会社となる。
現在社員は二十一人。増改築、内装工事、解体基礎工事、営繕工事を中心に請け負っている。最近はビルの屋上に設置する携帯電話中継基地の建設・保守も手掛けている。
「同郷の仲間に支えられてここまで来た。沖縄を心の支えにして大阪で頑張る」と語る。二〇〇〇年五月に設立されたWUB関西の会長でもある。包容力のあるリーダーだ。
(東京支社報道部)
(毎週水曜掲載)
ふるさとへの一言
なかざと・しんこう 1945年7月20日、宜野湾市我如古生まれ。嘉数小中学校卒。電気工などを経て、68年大阪で仲里左官工業創業。82年仲里建設工業に社名変更。89年組織変更し仲里建設株式会社を設立。会社は大阪市住吉区遠里小野3の15の3。
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