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日 付 2003/09/06  朝・夕刊 朝刊  政治・行政  2  1版 
見出し <夢をつなぐ・南米・ハワイのウチナー社会>2/伝統文化を着実継承/若者に大きな自信と誇り/ブラジル(中) 
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<夢をつなぐ・南米・ハワイのウチナー社会>2/伝統文化を着実継承/若者に大きな自信と誇り/ブラジル(中)


 八月二十三日にサンパウロの東洋街の中心部で行われた祝賀パレードには約千五百人が参加し、沖縄の伝統芸能文化を次々と披露し、沿道を埋めた地域住民を圧倒した。ブラジル社会での県系人の存在感の大きさを印象づける一方、移民社会の歴史と未来を表す縮図のようにも映った。
 初期移民は、コーヒー農園での過酷な労働やマラリアなど風土病との闘いを経て、新しい開拓地を求めて各地を転々としながら県人植民地を次々と建設し、後続移民の受け皿をつくった。
 パレードは、先人の功績に敬意を表すため、九十五歳以上のお年寄りによるカジマヤーで開幕。今年十二月に百歳になる上地マツさん=名護市出身=も元気な姿を見せた。二十歳で渡伯したマツさんは「朝から晩まで馬と同じように働いた」と労苦と努力の日々を振り返る。約八十年のブラジル生活で子ども五人、孫十五人、ひ孫十三人に恵まれた。遠く離れた沖縄への癒やしがたい郷愁の念にも度々襲われたが、家族が支えとなった。
 一方、パレードには三世、四世も数多く参加し、太鼓や踊りを誇らしげに披露した。
 青少年でつくる太鼓集団、レキオス芸能同好会の上地宝智恵(たちえ)さん(一三)は、父親がブラジル人、母親が県系二世の三世で、一年前から琉舞と併せて太鼓を習い始めた。「歌ったり踊ったり、沖縄の文化を披露できることは楽しい」と屈託ない笑顔を見せた。
 十二歳で渡伯した同会の大嶺初枝代表(五四)は「日本語を話せない三世、四世の子どもたちがほとんど。沖縄の文化や芸能をしっかりと受け継いでほしい」と話した。
 「琉舞の天才少年」として県内関係者の間でも知られる県系三世の斉藤悟さん(一六)は「沖縄の文化が好き」とウチナーンチュそのものだ。
 祖母の新垣春子さん(六五)=大里村出身一世=の琉球舞踊のビデオテープを幼いころから見ているうちに、三歳で「谷茶前」、四歳で「高平良万歳」を完ぺきに踊ったという。
 日本語を話せない若い世代は、琉舞や三線、太鼓などを通してウチナーンチュとしての自信と誇りを身に付け、アイデンティティーの確立につながっているようだ。
 パレード実行委員長を務めた与那嶺真次県人会副会長(五三)=名護市出身三世=は「ワッター島やグナサシガ、ワッター社会やマギサンドー(沖縄の島は小さいが、ブラジルの県人社会は大きい)」と、次世代への伝統文化の継承に自信を見せた。(政経部・外間聡)



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