日 付
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2003/09/06 |
朝・夕刊
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朝刊 |
面
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その他 |
頁
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5 |
版
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1版 |
見出し
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<社説>奄美人の世界網/大きな一歩への第一歩 |
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本 文
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<社説>奄美人の世界網/大きな一歩への第一歩
奄美諸島の本土復帰五十周年の記念行事の一つとして、米国在住の奄美出身者らを招いた「世界の奄美人(あまみんちゅ)大会」が、五、六の両日、名瀬市の奄美文化センターで開かれている。
同大会は初日、奄美復帰の教訓をいかに後世に伝えるかをテーマにパネルトーク「復帰50」を開いたほか、「復帰をしのぶ」「再会を喜ぶ」と銘打った交流アトラクションや、歓迎の夕べなどが開かれた。二日目の「未来50」では「『長寿・健康・癒し』モデルの島へ」と題するシンポジウムで、未来への方向を探る。
奄美の人たちとわれわれ沖縄県民は、共通するものを多く抱えるが、「本土復帰」もまた、共通した歴史体験だ。われわれより二十年近く先に、復帰を実現したが、その教訓から沖縄は多くのことを学び、基地を除けばほぼ支障なく、その制度化に入ることができたとも言える。
さて今回、「世界の奄美人大会」が開催されたが、このことに注目したい。米国在住者中心の゛世界の奄美人゛となったようだが、参加国数や参加者数より、重要なのは世界の奄美人の力を、これからの「島づくり」に生かそうとする意欲だ。
琉球新報は一九八四年から二年間四百八十四回の長期にわたり「世界のウチナーンチュ」を連載した。当時、わずかな情報で得た世界各国にいるウチナーンチュを現地まで行って取材したことで、その地でのウチナーンチュのミニ社会まで発掘でき、その「点」をつないでいきながら、世界に縦横に広がる「線」にまで結ぶことができた。
本紙の掘り起こしたウチナーンチュ・ネットは沖縄県の財産だ。だからこそ、県などが主催して三回も世界のウチナーンチュ大会を開き、母県との絆(きずな)を深くしようと努力している。また今、WUB(世界沖縄人ビジネス・アソシエーション)も、その延長線上で生まれた。
今回の奄美人大会開催は、まず一歩だ。これから人のネットが世界に広がり、奄美の大きな「財産」となることを期待したい。
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