日 付
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2003/09/07 |
朝・夕刊
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朝刊 |
面
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政治・行政 |
頁
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2 |
版
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1版 |
見出し
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<夢をつなぐ・南米・ハワイのウチナー社会>3/発展担う3、4世/「世代の懸け橋」と自負/ブラジル(下) |
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本 文
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<夢をつなぐ・南米・ハワイのウチナー社会>3/発展担う3、4世/「世代の懸け橋」と自負/ブラジル(下)
県人移民九十五周年を迎えたブラジルでは五世も珍しくない。ブラジル国籍の三世、四世の若い世代は、県費留学生などで沖縄と直じかに触れて初めて、ウチナーンチュのアイデンティティーを感じた人も少なくない。
稲嶺恵一知事ら南米訪問団と元留学生ら約四十人の交流夕食会では、自身のルーツとなる沖縄への熱い思いが語られた。
県費留学生と技術研修生でつくるうりずん会の糸数ニュートン会長(二九)は高校の歴史教師で四世。二〇〇〇年度の県費留学生として琉大で学んだ。「沖縄滞在は素晴らしい経験だった」と振り返る。美しい自然や歴史、文化に触れたこともさることながら、さまざまなウチナーンチュとの出会いが刺激になったようだ。
自身のアイデンティティーについて聞くと、「考え方はブラジル人だが、気持ちはウチナーンチュ。曾ひいじいちゃんが言っていた『島クトゥバ(言葉)やワシラン(忘れない)、島ヌクトゥやワシラン』という言葉が、今はよく分かるようになった」と言う。移民百周年に向け、記念誌の執筆にかかわりたいと考えている。
〇一年度にジュニアスタディーツアーに参加した与儀エリカさんは「親類の優しさ、ウチナーンチュの温かさを体いっぱい感じて帰ってきた。ウチナーンチュの誇りを持ってブラジルの学校で勉強したい」と話した。
留学生や研修生の多くが同様の経験をしている。
二世の登川イレーネさん(三四)は〇二年度に県や旅行社などで研修した。「自分は日系人と思っていたが、研修前は沖縄に興味はなかった」と率直に話す。
沖縄から帰って祖母と親密さが増し、姉妹にも沖縄の話ばかりしているという。「今はウチナーンチュ。また沖縄に戻りたい」と声を弾ませた。
三世、四世は見た目はウチナーンチュだが、男女の区別なく、あいさつで互いの頬ほおを合わせるしぐさはブラジル人そのものだ。沖縄から帰った彼らに共通するのは、熱心に日本語の勉強に取り組み、ウチナーグチを必死に試みることだ。
糸数会長は「僕らはブラジル人の気持ちも分かるし、一世の気持ちも分かる。ちょうど真ん中にいる。県系人社会の世代の懸け橋になる」と、これからの県系人社会の発展を担う自負を込めた。
ブラジルに限らず、移民先の子弟を県内に受け入れる研修制度の継続と拡充は、各国県人会から最も強い要望がある。母県を含めた県系人ネットワークを構築するためにも、次世代への県人意識や言葉を含めた文化の継承は不可欠だ。
(政経部・外間聡)
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